「うつ」を克服した人達
● 小川 宏さんの
体験談
● 藤臣 柊子さんの
体験談
● 竹脇 無我さんの
体験談
● 倉嶋 厚さんの
体験談
● 音無 美紀子さんの体験談

昨日の事は後悔しないで、明日の事は恐れない、今日一日はありがとう
  倉嶋 厚さん写真 奥様が亡くなってから、反省したり自分を責めたりした倉嶋さんも、今は同じことを思い浮かべても、全くのプラス思考に変わられたよう。

「そうなんですよ。そういうふうに見直す時期を経過してやっと治るんです。それによって、だんだん生きる力が甦ってくる。見直すチャンスはいくつかあるのですが、喋ることや書くことによってそれは具体的に見えてくるんですよね。」

 そして、最終的には、“おかげさまで生きているんだ”という、まわりの人への感謝の気持ちが出てくるという。

「人のおかげだよね。若い頃から、ずっと人の世話になって生きてきている。私の生活を助けてくれている、お手伝いさんや、横浜や東京のお医者さんには、特にそう思う。あるときふと、きっと死んだ女房が一生懸命になって、こんな出会いを私にさせてくれているんじゃないかと思いました。妻に悪かったと思っていた時は、そんな発想は出てこなかった(笑い)。以前は、寝る時も妻のことは思い出さないようにしていたと思う。だって妻の夢をみた後で、起きた時にそこにいないのがつらいから。
でも、この頃から夢に妻がよく出てくるようになった。治ってきた証拠だよね。」

 人生というのは展開するもの。ただ、展開する時には必ずそこに他人の恩恵があると倉嶋さんは言う。

「人は1人じゃ生きていけない、本当に。だから苦しいときに誰かにSOSを出すんですよね。だからといってみんなが返事をくれるとは限らない。私の場合も、女房が死んで困って友人に相談したときに、“そんなこと言ったって仕方ないじゃないか”という答えが返ってきたこともあります。たしかに、言われても困るかもしれないけど、でも何かの形でその人の心を救ってあげることもできるはず。よく伴侶を亡くした人への鉄則は、とにかく批判しない、聞いてあげる、共感する。そしてできるなら、”私ができることはありますか”と聞いてあげることだと言いますよね。本当にそのとおり。だから最近は、私なりに自分の体験をいかして、なにかできることがあったらしてあげたいと思っています。」

 一時はあばら骨が浮きでてしまうくらいまで痩せて、体力的にも精神的にも参ってしまった倉嶋さんも、退院してからは徐々に食欲も出てきて、その体験を赤裸々に書き綴った本を出版。最近は、自らの体験が何かの役にたてればと各地に出かけて講演もするようになってきたという。

倉嶋 厚さん写真 「この前、和歌山の看護大学で講演を頼まれて行きました。朝早くのぞみに乗って行きましたが、途中でおもらしをしてしまいましてね。大学に着いたとたんスタッフの人に“下着を買って来て欲しい”とお願いしたら”先生、うちは看護大学だから老人用ならありますよ”と言われました(笑い)。大急ぎで用意してもらって着替えをして…、悲惨でした。それを看護師を目指す若者達が集まっている会場で、開口一番にお話ししたら”こんなことを告白してくれた講演は初めてです”と、いきなり親近感を覚えてもらったようでした(笑い)。」失敗話も開き直って人を引き込む明るい話題に変えてしまうまでに、パワフルに甦った倉嶋さんの近年の信条は、「昨日の事は後悔しないで、明日の事は恐れないで、今日1日はありがとう」だとか。

 「最近は、盆踊りで知り合った中年以上の女性に、町なかで声をかけられることが多くってね」と、嬉しそうに話してくれた倉嶋さん。

奥では、本のあとがきで“この人なくして倉嶋さんの回復は語れない”と書かれていた、3歳上のお手伝いさん・水口きよみさんが静かに私たちのためにお茶を入れてくれていた。

 激しい嵐の中を、思いやりという力強い絆で支え続けてくれた同志のような人に見守られて、仕事に私生活に新しい展開を見つけだした倉嶋さん。「今は、人生で何度目かの小春日和の中にいるのです」という言葉が実感できる、おだやかさが部屋中には溢れていた。

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